■例大祭(神農祭) ―    11月22日・23日


315SINNO.JPG - 55,992BYTES当神社は、日本の薬祖神である少彦名命とともに、
 中国で医薬の神様、神農氏をお祀りしているところから
神農さん」で親しまれています。


 神農祭の両日は、道修町通り(御堂筋と堺筋に挟まれた区域)に、
  くす玉飾り献灯提灯が建ち、たくさんの露天がびっしりと軒を並べ、
神虎(張子の虎)を求める参拝者で、終日にぎわっています。310SINNO.JPG - 67,501BYTES

 


また、大阪の一年のお祭りは、1月の十日戎ではじまり
神農祭で終わるので、神農祭はとめの祭といわれています。 
薬種商が、店先に祭
提灯や祝幕、金屏風を飾っていた戦前と、
商店が会社へ発展した戦後とでは大きく様変わりしましたが、
薬業界の祭りに寄せる心に変わりはありません。

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時代とともに参拝者は増加し、今では“町の祭り”から“大阪の年中行事”
へと発展し、平成19年、神農祭は、「少彦名神社 薬祖講行事」として、
大阪市無形文化財(民俗)に指定されました。
      
     

 

 

 

                            ■神農祭と張子の虎

神農祭に際して有名なのは、五葉笹に付けた張子の虎
神社で授与される張子の虎は神農祭のシンボルになっていますが、
その由来はどのようなものなのでしょうか。

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笹に付いた赤い札「祈願家内安全無病息災
(←)の正面には次のような説明が書かれています。
「文政五年の秋、疫病(コレラ)流行して万民大いに苦しむ
これにより、道修町薬種商相議り、疫病除薬として虎頭骨等を配合し、
虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)という丸薬を施与すると共に
張子の虎を作り、神前に祈祷を行い、病除御守として授与する。
古人、病を療するに薬を服用すると共に、また神の加護を祈る用意の周到なる
こと誠に想うべきものなり。
神農祭 十一月二十二日、二十三日
             大阪船場道修町(神農さん)少彦名神社

文政5年(1822)に拡がったコレラは、日本での第一次流行で、三日も経てば亡くなるので“三日コロリ”といわれ
虎や狼が一緒になって来るような恐ろしい病気として「虎狼痢」と当て字されました。
当時においては、細菌学もなく、治療法など分かっていないのですから、疫病除けとして「鬼を裂く」といわれる
虎の頭骨など10種類の和漢薬を配合した「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬をつくり、初めは100人と限って効能書に
1粒包んで施薬しました。
同時に、病名も丸薬にも虎の字が当てられていたので「張子の虎」が作られ、五葉笹につるし、神前で祈祷したしるしに
虎の腹部に「薬」の文字が朱印され、病除け御守りとして授与されるようになったのです。

現在、施薬は、明治初期の「売薬規制」により廃止されましたが、「張子の虎」は、神農祭のシンボルとして名高くなり
お祭りの当日は、参拝者が無病息災を願って求めるほか、薬祖講(当神社の崇敬団体)の会社から得意先へ配る数も
多数にのぼっています。

戦前は、一定の時刻を定めて「張子の虎」を一定数無料配布していました。
集まった子どもたちが「おっさん、虎おくれんか」と叫んで、祭りの風物詩になっていましたが、現在は有料授与となり
祭典委員や巫女の手により授与されています。

黄色い胴体に黒縞模様で、ゆらゆらと頭部を上下に振る「張子の虎」は大阪の郷土玩具のひとつとしてかぞえられて
います。

虎をつるす五葉笹(5枚の小葉の笹)は、枝分かれしない1本の笹で節の所から5枚ずつ出ているのが特徴です。
ちなみに、えべっさんの福笹は、孟宗竹の枝の部分が使われています。

                                
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