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< くすりの町のあゆみ >

【道修町に伝わる文書】KOUGI.JPG - 11,143BYTES

くすりの町・道修町には、江戸時代の中期から昭和の終戦時まで、
薬業仲間の寄合所で保存されてきた文書群、約33,000点以上が
残されています。
江戸時代には様々な業種ごとに株仲間(同業組合)が結成され、
自主的に共同利益を守ると共に、幕府の経済政策の受け皿ともなっていました。
明治5(1872)年の株仲間解散と共にすべて崩壊し、それら関係資料の多くは
散逸してしまいました。
ところが、道修町薬種中買仲間は例外的に、近代的な同業組合にうまく移行し、
江戸時代以来の薬業仲間文書を一括して保存し続けました。
これが「道修町文書」です。
薬種中買仲間の成立から解散までの近世文書からなる厖大な文書群です。      
この文書群は、天保年間の大塩平八郎の乱や第二次世界大戦時の空襲などの         薬種御改指上一札控帳
災禍からも免れ、奇跡的に現在まで伝えられてきた全国的にも貴重な文化財です             <表紙>

【(年表)道修町文書に見る歩み】

年号 西暦 事項
明暦4 1658 道修町薬種屋33人が似せ薬取締りにつき連印状提出
寛文6 1666 道修町薬種屋108人が買占め等禁止につき連印状提出
享保7 1722 道修町の代表が和薬真偽吟味の講習を江戸で受ける
道修町薬種屋仲間124株公認 和薬改会所設置
元文3 1738 和薬改会所廃止
寛延2 1749 五ヶ所本商人・唐薬問屋・薬種中買の三方間で唐薬取引につき申し合わせ
安永8 1779 「唐物取締仕法」により大坂で輸入薬一切の検査を実施。
道修町薬種中買仲間の監督下、大坂市中と攝河在方の薬種屋、合薬屋が脇店株となる
寛政3 1791 仲間の組下を「神農講」に組織
寛政11 1799 5株増が認められ、中買仲間129株に
天保12 1841 幕府が株仲間を禁止
嘉永4 1851 薬種中買仲間の再興が認められる
明治5 1872 道修町薬種中買仲間解散(解散時188株)
旧中買仲間らが第一薬種商社を設立
明治7 1874 薬種商組合規則が認可される
明治10 1877 第一薬種商社解散
明治13 1880 薬種問屋仲買仲間規則が認可される
明治17 1884 薬種商卸仲買仲間規則が認可される
明治23 1890 薬律(薬品営業并薬品取扱規則)実施延期を請願
明治26 1893 横線小切手同盟発足
明治27 1894 大阪薬種卸仲買商組合となる
昭和15 1940 大阪薬種卸商組合となる
昭和16 1941 大阪薬種業誌 昭和10年から全4巻刊行
昭和19 1944 大阪薬種卸商組合解散

【道修町のはじまり】

道修町は、豊臣秀吉が大坂城の城下町を作った頃、船場の一郭に形成され始めたものと考えられます。
天正16(1588)年に町屋を焼いたという火事の記録の中に、「道修町」の名が記載されています。
道修町に残る、一番古い明暦4(1658)年の似せ薬取締りについての文書には、道修町家持人11軒、
借家人22軒、合計33軒の薬種屋の署名捺印があります。
8年後の寛文6(1666)年の文書には、108軒の薬種屋が、道修町2丁目を中心に1丁目、3丁目に存在
していた記録もあります。
享保年間(1916〜1736)、幕府に公認された薬種中買仲間124軒(本店)以外にも、脇店やセリ売り商人
(大坂市中や近郊の医家・薬店に売る)など数多くの薬種屋が道修町や裏店で商売をしていました。
江戸時代の大坂は、長崎と直結した国際性をもつ巨大な国際交易都市
でした。
その大坂の中で道修町は薬種について海外との交流を持っていました。
昭和61(1986)年から始まった道修町周辺の発掘調査では、江戸時代の初期の薬種商の生活をうかがわせる
海亀の甲羅や、輸入薬種の容器と思われる中国、ベトナム、タイの壷などが出土しています。

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【道修町と薬種商】5.JPG - 24,018BYTES

豊臣時代、北船場の地域は長崎からの輸入品を扱う貿易商の町でした。
中国から輸入される唐薬種(漢薬)を商う人たちが、次第に東横堀の
平野橋あたりから北側の道修町へ移っていったと考えられます。
その契機は、寛永年間(1624〜1644)に堺の商人小西吉右衛門が
道修町1丁目に薬種屋を開いたとされています。
道修町が現在のように「くすりの町」として知られるようになったのは、
八代将軍徳川吉宗の享保7(1722)年以降のこと。
道修町薬種中買仲間が、株仲間として組織され。諸薬種を吟味(検査)
のうえ、適正価格を付けて独占的に全国に供給するようになってからの
ことです。
明治に入ってからは、西洋薬が主流となりました。
当初は神戸・横浜の外国商館からの輸入でしたが、明治中期には欧米
からの直輸入が始まりました。
一方、道修町薬種商たちは共同の薬品試験所の設置や、製薬事業にも         
出典:昭和55年10月(財)大阪年協会発行
着手し始めます。                                          大阪建築史夜話・大阪古地図集成 附図
その多くは薬種問屋から製薬企業へと発展してきました。                  「『第二図新板大坂之図』(明暦3年)」から
今では、くすりのみならず医療・健康関連産業の分野にも進出して、            明暦の道修町周辺
さらに躍進を続けています。

【(年表)道修町の生い立ち】

年号 西暦 事項
天正11 1583 豊臣秀吉、大坂城築城に着手。
平行して堺・平野郷等の町人を集め、上町台地中心に城下町の形成を開始
天正16 1588 道修町で家20軒消失という記録(毛利天正記)
文禄3 1594 東横堀川開削(1600年までに西横堀川開削)
慶長3 1598 船場と天満を城下町として本格整備
慶長20 1615 大坂夏の陣で大坂城落城
元和元 1615 松平忠明、大坂市街復興、都市計画に尽力する
寛永12 1635 堺の小西吉右衛門が道修町1丁目に薬種屋を開く
明暦3 1657 『新板大坂之図』に「たうしゅたに」と記載
元禄元 1688 『辰歳増補大坂図』に「道しゅ町」と記載
享保7 1722 道修町薬種屋仲間124株公認
享保9 1724 妙知焼で大坂市街の3分の2焼失、道修町も全焼
享保20 1735 道修町薬種中買仲間寄合所設置。定行事を置く
宝暦2 1752 薬種中買仲間は道修町1〜3丁目に住むことを取決まる
天保8 1837 大塩平八郎の乱で道修町東半分焼失
明治5 1872 株仲間解散。薬種業者が屋号から姓に改められる。
明治7 1874 薬種商組合結成
明治17 1884 薬祖神の崇敬者団体「薬祖講」結成
明治21 1888 道修町2丁目に別途(請願)巡査派遣
明治32 1899 道修町で共同撒水組合を設け、水まきを開始
大正9 1920 道修町通り拡幅のため軒切り
昭和20 1945 道修町1丁目、2丁目、3丁目西側戦災
昭和25 1950 このころ道修町の企業の株式上場盛ん
昭和40 1965 このころ道修町の企業の社屋ビル化進む
平成4 1992 「道修町文書保存会」発足
平成9 1997 「道修町資料保存会」発足


【くすりの町の神農さん】

道修町は大切な人の命にかかわる薬を商う町として栄えてきました。TORII-N.JPG - 55,825BYTES
取扱う薬種が本物かどうかや、品質の良し悪しの吟味を神のご加護により
間違いなく遂行できるように祈願してきました。
いつの頃からか道修町の薬種商の家々では、中国の薬の神様である神農氏の
掛け軸をかけ、拝むようになりました。
享保18(1733)年には、仲間内の親睦団体「伊勢講」が結成され、伊勢神宮に
参拝していたようです。
安永9(1780)年、日本の薬の神様である少彦名命を京都五条天神宮から
お招きしました。
既にお祀りしていた神農氏とともに、薬種中買仲間寄合所(現在の少彦名神社
の位置)にお祀りするよういなりました。
鎮座当初は、寄合所の神棚に祀っていましたが、大塩平八郎の乱で類焼。                
天保11(1840)年からは、寄合所の庭に小さな社を建ててお祀りしました。
明治17(1884)年には、道修町薬業関係者の崇敬団体「薬祖講」が組織され、                     少彦名神社社殿
少彦名神社の祭典の運営にあたっています。
少彦名神社の11月22日。23日の例祭は「神農祭」と呼ばれ、大阪の1年を
締めくくるお祭りとして、「張子の虎」の御守りとともに人々に親しまれています。

【日本の薬業のルーツ『道修町』】

江戸時代のくすりは、植物(草根木皮)や動物・鉱物の中から効能のあるものが薬として調製され、
用いられてきました。
くすりの原料となる薬種は、中国やその周辺が産地で日本に輸入される「唐薬種」と、
日本で採られる「和薬種」の2種類がありました。
鎖国をしていたため、中国船やオランダ船で運ばれる唐薬種はすべて長崎に入りました。
この唐薬種を道修町の「薬種中買仲間」が真偽・量目をチェックし、一手に買い付け、全国に販売しました。
享保7(1772)年、大坂にも「和薬種改会所」が出来ると、大坂に入る和薬種は、すべてそこで検査されました。
16年後、各地の和薬種改会所が廃止された後も、道修町薬種中買仲間は「和薬種だけでなく唐薬種の専門家」
という技術力と全国的な取引網が幕府に認められました。
そして、唐薬種と和薬種の双方の品質と目方を保証し、適正価格を定め、全国に薬種を供給する総元締の役割
を果たしてきました。

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               伏見屋市兵衛(現:小野薬品)店図(慶応3年)

【(年表)薬種商からの発展】

年号 西暦 事項
享保7 1722 大坂・道修町に薬種中買仲間124株公認

享保20

1735 道修町薬種屋仲間が「薬種中買仲間」の名称を収得
明治5 1872 株仲間解散令により薬種中買仲間解散
明治7 1874 薬種商組合を設立
明治13 1880 薬種商問屋仲買仲間と改称
明治17 1884 薬種商卸仲買仲間と改称
明治19 1886 製薬組結成
明治27 1894 大阪薬種卸仲買商組合と改称
明治30 1897 このころから有力問屋が製薬事業に着手
明治35 1902 大阪製薬同業組合設立
大正3 1914 第一次世界大戦で薬品輸入途絶、制約の勃興
大正11 1922 このころから昭和初期にかけて会社組織増加
昭和14 1939 経済統制により公定価格実施
昭和18 1943 会社名の変更相次ぎ、ほぼ現在の社名に
昭和19 1944 大阪薬種卸商組合解散
大阪製薬同業組合は医薬品統制会社に統合
昭和20 1945 大阪医薬品協会(第1次)設立
大阪府家庭薬組合設立(のち大阪家庭薬協会)
昭和21 1946 大阪化学工業薬品協会設立
大阪医薬品元卸商組合設立
昭和22 1947 大阪医療品卸商組合復活
昭和23 1948 西部試薬協会設立
大阪医薬品協会(第2次)となる
昭和29 1954 大阪府医薬品卸業協会設立(のち大阪府医薬品卸協同組合)
昭和31 1956 大阪衛生材料協同組合設立
昭和33 1958 大阪生薬協会設立。
大阪食品添加物協会設立
昭和34 1959 大阪府医薬品小売商業組合設立
昭和45 1970 日本香料工業会設立


 

【製薬産業の発達】

日本では、古来から和漢の薬種をくすりとして用いていました。
その各種の薬種を配合した「合薬」と呼ばれる家伝薬も、各地で製造・販売されていました。
明治になって西洋医学が取り入れられてからは、道修町で取扱う薬種は徐々に西洋薬(洋薬)に代わりました。
明治の終わり頃から、有力な薬種問屋が簡単な洋薬製造を開始しました。
大正3(1914)年の第一次世界大戦の勃発により、外国から輸入していた薬品類が途絶えました。
このため、政府の推奨により製薬が盛んになり、洋薬が国産化されるようになりました。
当時は、外国製品の模倣が大部分でしたが、製薬企業の基盤はこの時期に培われました。
第二次世界大戦後、ペニシリン、ストレプマイシン等の抗生物質をはじめ、数々の新薬を輸入しました。
これらの技術導入により自社製造する努力が続けられ、日本の製薬産業の技術水準は著しく向上しました。
戦後一貫して近代化・合理化を図ってきた製薬会社は、高度経済成長や国民皆保険実施による医薬品需要
の伸びとともに発展、自社研究・開発力を強化し、世界に通用する新薬を開発するまでになっています。

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    昭和初期の製薬工場          昭和31年頃の製薬工場         現在の製薬工場

【(年表)日本の薬の移り変わり】

年号 西暦 事項
享保以前 漢方医学で唐薬種・和薬種を使用(鎖国令)
享保年間 享保の改革により薬種の国産化を推奨
明治2 1869 大阪舎密局開講、物理・化学を講義(西洋薬が入り始める)
明治8 1875 大阪司薬場を設置し、薬品検査と薬学の教授を開始
明治9 1876 大阪府、製薬免許手続き公布(製薬の芽生え)
明治15 1882 大阪司薬場を衛生局大阪試験所と改称(薬舗并薬品取扱規則)
明治16 1883 東京に半官半民の大日本製薬会社設立
明治19 1886 (日本薬局方公布)
明治21 1888 道修町薬業家により大阪薬品試験会社設立
明治23 1890 道修町三大問屋が共同で広業舎を設立、ヨード生産を開始
明治30 1897 業界有力者より大阪製薬株式会社設立
明治31 1898 大阪製薬株式会社は、大日本製薬合資会社を吸収合併し
大日本製薬株式会社に社名変更
大正3 1914 第一次世界大戦で薬品輸入途絶、薬品価格暴騰(売薬法公布)
大正4 1915 国産代用薬、国産新薬台頭(染料医薬品製造奨励法)
大正6 1917 梅毒治療剤 サルバルサン国産化
昭和2 1927 喘息薬 エフェドリン登場
昭和12 1937 サルファ剤国産化、ビタミンB1剤登場(厚生省設置)
昭和15 1940 駆虫剤 サントニン国産化
昭和21 1946 国産ペニシリンの製造・販売許可(企業再建整備法公布)
昭和25 1950 抗結核剤 ストレプマイシン、パスの国内製造許可(薬価基準制度発足)
昭和30 1955 ビタミン剤などの保健薬ブーム(結核・肺炎の死亡率激減)
昭和31 1956 副腎皮質ホルモン剤登場
昭和36 1961 小児まひ生ワクチン輸入(国民皆保険制度実施)
昭和39 1964 向精神薬登場、小児まひ生ワクチン国産化
昭和45 1970 ビタミン剤に代わり抗生物質が生産高トップに
昭和46 1971 自社研究開発相次ぎ、国産新抗生物質登場
昭和59 1984 遺伝子組替えによる薬品登場
平成元 1989 循環器用薬が生産高トップに(日本人の平均寿命が世界一)
                                                 (   )内は関連事項
     


 

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