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道修町薬種中買仲間(株仲間)の文書である「道修町文書」の中に、『三方申合條目』という重要な文書があります。
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| これは、唐薬問屋から薬種売出しを中買仲間へ通知したら、定めた日に買い取ってもらいたいということです。 なぜなら、中買が買出しを遅らせたり、荷主が相場の上がるまで売出しを延ばそうとすると、本商人は落札代銀を長崎会所へ 上納するのが遅れ、次の入札ができなくなるからです。 そのほか、入荷量が20櫃以下の荷物については、荷主・唐薬問屋が勝手に売り捌いてもよいかとか、本商人から 唐薬問屋以外へ荷物を直売してはいけない、近辺に住居があっても中買でない人には問屋から一切売買しない等、 25ヶ条の条目が申し合わされています。 |
| そして最終の頁には右のように書かれています。 この頁の最初の行の文章は、 前頁の「本商人方・中買方・問屋方三方のうち何方にても自然右のヶ條一品にても相背く仁これあるに於ては、三方・・・」に続くもので、「三方評議の上、商売 取引致す間敷きこと」となります。 そして末尾の署名には、五ヶ所本商人中、道修町 中買中、唐薬問屋中と正しく明記されています。 ところが、表紙を見ますと、道修町中買が薬種仲買と 書かれているのです。これは変ですね。 |
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| ★薬種中買仲間と仲間商の違い 道修町薬種中買仲間が実質的な「仕入問屋」であり、さらに荷直しや封紙をして全国へ卸販売をする「卸問屋」であるのに “中買”という名称を用いたのは、別に唐薬問屋が存在したために“問屋”の名称を避けたためと思われます。 それにしても、中買仲間自身が今回の文書において、“薬種仲買”とか“仲買方”とか誤った文字を書いているのは 不可解としか申しようがありません。 しかも他の本文中の文字や最後の署名は“中買方”とか“中買中”となっていますので、昔の人は大らかだったのですね。 明治以降の仲買人は、自己の店舗を持たず、問屋間の取引を仲介して、双方から口銭をとる商人でした。 従って、中買仲間と仲買商とは、規模も性格も異なるものです。 道修町中買仲間と原稿に書いても、現代感覚から勝手に仲買と校正・印刷されることもあるのは、困ったことです。 |