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 資料館展示室の「くすりの町のあゆみ」コーナーに『仲間最初書』という和綴4.JPG - 9,679BYTESじの冊子が展示されています。

 享保7年(1722)、道修町薬種屋仲間124軒は、長崎で輸入された唐薬種(漢薬)を一手に取り扱う株仲間として公認されました。
そしてこの年、幕府より「此度、和薬種吟味について江戸本町三丁目
薬種屋仲間と委細を申し合わせるように」との指示を受けて、
和薬種改会所(わやくしゅあらためかいしょ/和薬の品質鑑定をする所)の
設立に向け、堺・駿府・京都・和歌山・大坂の薬種屋の代表が、江戸で幕府お抱えの本草学者達と和薬種について協議を行いました。
この文書は、大坂の薬種仲間の代表として伏見屋市衛門と福島屋吉兵衛が江戸へ下向した時の記録で「仲間の最初の文書」として
2冊(乾の巻,坤の巻)残されています。

 


「乾」(けん)の巻 ―

 福嶋屋吉兵衛の「江府(江戸)滞留日記」(60ページの冊子)で、個人的な日記体で書かれています。
享保7年5月17日、大坂御番所(奉行所)および三郷年寄中から路銀として各々十両を受け取り19日朝発。
東海道を13泊して6月2日品川着、翌3日幕府の御月番へ挨拶ののち、江戸本町
(ほんちょう)(現 日本橋本町)三丁目薬種屋仲間25軒に引き合わされ、堺、駿河、京、紀州の代表とも落ち合い、和薬種の真偽吟味につき打ち合わせをすることになりました。
 場所は本草学者(当時の薬学博士)丹波正伯宅で、11日から25日まで吟味すべき和漢薬について協議を行い、その指図を受けています。
そして27日に御月番から「大坂表でも和薬種改会所をつくり、諸国より集まる和薬種吟味を滞りなく勤めるよう」仰せつけられ、幕府要人と丹羽正伯に御礼を言上、本町三丁目仲間衆に暇ごいをして7月10日、帰途に
つきました。

 短い期間ながら、吟味すべき薬種、吟味に及ばない薬種、名目の違っている薬種、禁止すべき薬種等について協議をし、また本草学者や採薬師などからは新薬種の押し葉や江戸の近山から産出した薬草の見本などの
供覧もあり、和薬改会所設立のための準備がすすめられました


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―「坤」(こん)の巻 ―
 日付毎の箇条書きが並んでおり、公的な「覚え書」(52ページの冊子)記録が主体となっています。
6月21日の頃で、「丹波正伯老へ参り候上、お尋ねにつき大坂表薬種商人の品、書付をもって、申し上げ事」
という文言に続いて、箇条書きの「覚」として次の文章が記されています。(道修町の薬種屋についての説明)


                           
                        覚  
                
一、大坂道修町薬種屋どものこと。KON.JPG - 13,033BYTES
   右薬種屋店の儀は、御当地本町三丁目のごとく往古より同商売並び居り、
   諸薬種吟味いたし国々へ積み下し申す商人およそ百拾軒余り只今御座候。
 
一、道修町のほか、町々に薬種小売商人或は他の商売を兼ね候者どもおよそ
     七百軒余り御座候こと。
   内百五拾軒ばかりは、長崎諸荷物取りさばき仕る問屋に御座候。
  又拾軒余り和薬種相兼ね候問屋御座候。
 
一、大坂諸問屋どもへ、国々産の和薬手筋をもって積み登せ取りさばき仕る商人、
      町中に余た御座候。
   員数は計り難く候。
 
一、同裏店或は端々に獨身体にてせり売り商人と申して、薬種取なやみ申す者
     数多く御座候。

 道修町薬種屋についての説明は、「乾」の巻にも同一文が書かれており、ケース内に展示しているは
このページです。


 
5-1.JPG - 6,280BYTES「坤」の巻では、代表2人が大坂帰着後、淡路町一丁目に「和薬種改会所」をつくり、8月25日から業務を始めていることが記されています。
(江戸では享保7年6月19日、伊勢町表河岸に設置されました。)
さらに道修町一丁目〜三丁目の薬種屋仲間の者124人のうち、日行司
(当番)3人ずつを会所に詰めさせ、和薬種吟味改め(品質鑑定)に当たる
ことになりましたが、その日行司40組のリストも20ページにわたって掲げられており、「薬種中買仲間」の当初のメンバーを知ることができます。

 「和薬種改会所」では唐薬の吟味は取り扱っておらず、唐薬種については
道修町薬種中買仲間が真偽の鑑別を行った上、全国へ流通させていました。
16年後、各地の「和薬種改会所」が廃止されましたが、全国に取引網を持つ
道修町薬種商の実力と信用により、和薬種の取扱高も増え、量的には唐薬種を上回るようになりました。このようにして
唐薬種・和薬種の両方が扱え、品質確保に努めてきた道修町は全国の和漢薬種流通の中心地となっていきました
 
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