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【日本の薬業のルーツ道修町(どしょうまち)】


 ■「くすり」といえば道修町■
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道修町にはくすりを扱う企業やくすりにゆかりのあるお店がびっしりと軒を並べています。
ここには、日常皆さんがご家庭に常備されている薬から、お医者さんに診てもらって病医院
でもらう薬まで薬を扱う様々な企業が並んでいます。
どうして道修町は「くすりの町」といわれるのでしょうか。

江戸時代は、植物(草根木皮)や動物・鉱物の中から効能のあるものがくすりとして調整され用いられてきました。
くすりの原料となる薬種は、中国などから輸入される唐薬種と和薬種の2種類がありました。
当時は鎖国をしていたため、中国船やオランダ船で運ばれる唐薬種はすべて長崎に
入ります。
この唐薬種を道修町の薬種中買仲間(江戸幕府より公認された株仲間)が一手に買い付け、薬種の真偽や
量目をチェックし、全国へ販売していました。
道修町が買付けた薬種は、江戸本町をはじめ、全国の薬種問屋、さらに薬種を調合する合薬屋(あいぐすりや)へと、
また大坂の脇店(中買以外の薬種屋・合薬屋)などに届けられていたのです。

享保7年(1722)、大坂にも「和薬種改会所(わやくしゅあらためかいしょ)」が設けられると、大坂に入る和薬種は
すべてそこで検査されました。
その後、各地の和薬種改会所が廃止された後も、道修町薬種中買仲間は「和薬種だけでなく唐薬種の専門家」
という技術力と全国的な取引網が幕府に認められました。

道修町薬種中買仲間は、唐薬種と和薬種の双方の品質と目方を保証し、適正価格を定め、全国に薬種を供給
する総元締めの役割を果たしてきたのです。
こうした事を背景に現在も、道修町には薬業関連会社がたくさんあり「くすりの町」といわれています。
これからも命と健康を育む町として様々な事業活動を展開していきます。

 ■道修町の名前の由来■

大阪には、立売堀(いたちぼり)・放出(はなてん)・杭全(くまた)・御幣島(みてじま)など難読な地名がたくさん
ありますが、道修町(どしょうまち)もそのひとつに挙げられます。
その道修町の由来にはいろいろな説がありますのでご紹介しましょう。
@「道修寺」説
道修町にはかつて道修寺というお寺があり、その名前に由来するというもの。
墓石も掘り出されています。
A「道修谷」説
大阪城が築城される以前、ちょうど今の道修町1丁目あたりは、上町台地とその西方に出来た洲島との谷間で
あったようで、道修谷(どうしょうだに、どうしゅだに)と呼ばれていたことに由来するというもの。
B「北山道修」説
中国の馬栄宇という医師が来朝、長崎で生まれた子供の北山道修が大坂で医院を開き、その門前に薬種屋が
多く集まるようになったのが由来するというもの。
C「本願寺」説
文禄2年(1593)、本願寺の教如上人がこのあたりに渡辺御堂というお寺(このお寺は後に本町にある南御堂に
移りました)を建て、その関係者である堂衆が多くすむ様になり、その堂衆が道修になったというもの。

MATI1.JPG - 116,900BYTESどれも本当のようですが、実は定かではありません。
でも「道を修める町」と書く道修町。
皆さんの健康に貢献するという使命は、これからもずっと果たしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 



                                             

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